田宮二郎の高原へいらっしゃい

1976年にTBSが放映した田宮二郎さん主演の「高原へいらっしゃい」というドラマの紹介と八ヶ岳周辺についてのご案内です。

高原へいらっしゃい 第3話 初めての予約電話が鳴った

第3話 初めての予約電話が鳴った

 さわやかな八ヶ岳をバックに高原のホテルの全景が映し出される。
 
高間と仕入れ業者の佐々木が厨房の小上がりで靴を履いたまま毛布をかぶって寝ている。その脇では亥太郎が朝食の用意をしている。冬子も一緒だ。
 
八ヶ岳 

食堂では面川が窓を開け、景色を見ているのかどうかという面持ちで煙草を吸っている。
 康雄と史朗は食器をテーブルにならべていた。そこへ大貫が入ってくる。
「面川さん。皆の手前なんですから、ロビーのほうへいらっして下さいませんか?」
「なんだい?」
「今からスタートラインに戻ったほうがいいんじゃないですか?もう1度スタートからやり直すべきじゃないでしょうか?」
「どうやり直すんだい?」
「どうって?今、滅茶苦茶じゃありませんか」
「いいよ。意見を聞かせてくれたまえ」
「しかし、私の意見であなたが動いたという印象はなるべく避けたいんです」
「だから、ここで聞こうというんだ。どの部分で君の意見に従ったか、皆に知っておいてもらったほうがいい。むこうで2人きりで話して私が何かをした。すべて君の意見に従ったって、見えるじゃないか」
「そりゃそうです」
「素直に聞くよ。いい意見を取り入れるのを恥だと思ってないよ」
「とにかく、スタートに安易な点があったことは事実です」
「そうかね?」
「そうかねって?あなたはこのホテルの特色は料理で出したいって、そう仰ったじゃありませんか」
「うん」
「その肝心のコック長が、信用できるかどうか分からないっていうのが現状じゃないですか?」
 内心そうかもしれないというような面川の顔。
「シンガポール帰りの名コック長という触れ込みだが、結局あなたは、彼が作ったものを目の前で1度も食べたことがない。300万しか予算がないということを百も承知で、40万の買物を平気でしてきてしまう。そのうえ、ホテルからいちばん近い店から仕入れるというこの種の常識を破って、訳の分からない男に肉と野菜の仕入れを一括して任せてしまう。さらにそのうえ、飲んだくれて帰ってきて、朝の6時45分にようやくグーグーお休みになった。その弟子は今どうしているか?寝坊して、7時5分過ぎにベーコンエッグなんかをがたがた作ってる。この2人にしてもそうです。開業するまでにウエーターの基本を覚えさせるということで食器をならべているんじゃありませんか!彼はきびきびと格好はいいが、まるで、放り投げるように皿をならべる」
 そういう大貫の顔を、康雄が一瞬見返した。
「彼はナイフとフォークをわしづかみにして、お盆にでものせればいいのに、のろのろと配って歩く」
 そう言われた史朗も大貫を見やった。
「あなたはこうした目の前のことを何も言わないじゃないですか。まして、コック長にはひとことも言えない。寝坊した亥太郎君を怒りましたか?ただ黙って、窓の外を見ている。そんなことだから、まだ起きてこない子がいるんですよ。鳥居ミツですよ。いくらボイラーの技師か、エキスパートか知らないが、起床時間を守らななくて、従業員の規律を保てますか?!どうせ夕べ遅くまで、直してたとかなんとかいいわけを言うんでしょうけどね・・・」
 その鳥居ミツが食堂に入ってきていて、大貫の話を聞いていた。不貞腐れたミツにかまわず大貫は続けた。
「あのサングラスだって、感じ悪いんじゃないんですか?開業してからさせるつもりがないんなら、今から取らせたらどうですか?10時のお茶にこだわるあなたが、ほかのことには甘いんじゃないですか?信用できない人間はできるだけ早く辞めてもらい、ほかの人材を探さないと、成功はおろか、開業までに駄目になってしまうんじゃないですか!偉そうなことを言いましたが、的外れなことは言ってないつもりです。ホテルを成功させたいから、あえて言ってるつもりです」
 黙って聞いていた面川はタバコを消した。
「何時までやった?」
「5時よ」
「そう」
「11時には寝たと思ったがね」
「私もそう思った。しかし、また起きたんだね」
「寝たとかなんとか言われたくなかったのよ。でも、やりだしたら、やっちゃわないと気が済まないのよ」
「亥太郎君も一緒だった」
「勝手にいたのよ」
「しかし、亥太郎君も朝の5時まで一緒にいた」
 冬子がスープを配っていて、そのテーブルにミツはついている。
「へんなこと考えないでよ」
「そうじゃない。亥太郎君が朝なぜ起きれなかったかを言いたかった」
「だからといって、遅れていいことにはならないでしょう」
「しかしね、徹夜でボイラーを直してた彼を叱る気はないね。自分の職域だけ守って、他のことは知らないっていう人間より、徹夜をしてでも他の人の仕事を手伝ってしまう人間のほうのが、このホテルには大切だと思うね」
「ま、その議論はあとまわしにしましょう。当面の問題はコック長なんですから」
 朝から大貫にやり込められていた面川は形勢逆転を図るようにミツと亥太郎を擁護したが、高間のことを言われると、さすがに苦虫を潰すようだった。
「ほかのことはいいとしても、あのコック長のでたらめさはかばえないんじゃありませんか?」
「かばう気はないさ」
 面川は大貫に背中を向けながら言った。
「しかし、かばいたいと思ってる顔をしてますよ」
「信じたいとは思ってる。今でも、半分は信じてるよ」
 面川と大貫のやり取りのそばで、ミツはタバコをふかしている。
「半分は疑ってるということですね」
「確かに無断で40万もの買物をしてきたことには驚いてる」
「しかも、40万にしては包みが小さすぎる。40万の請求書を書かせて、20万の品物を持ってくるってこともありますからね」
「そこまで疑うのは軽率じゃないかね」
「いちおう疑ってみるのも、経理の仕事だと思っています」
「飲んで帰ってくることぐらいは、文句を言う気はないが・・・」
「だけど、あんな男に、タクシー代をおごられるっていうのも困るでしょ」
「どんな人だか、確かめてみないと分からないよ」
「少なくても、仕入れを任せられる男じゃないと思いますね。食料品を扱うなら、それなりの清潔さが必要じゃありませんか。それなのに、あの男はむさくるしさしかありませんね」
「確かめてみないことには、何も言えないよ」
「とにかく、いちばん肝心なことは、あのコック長に腕があるかどうかということなんですからね」
「その点については、私は信じてるとしか言えないよ。目の前でつくっているところを見ていない。しかしね、シンガポールで名コックだったっていうことは1人や2人から聞いた話じゃない」
「何人です?」
「うん?」
「何人からですか?」
「3人だ。しかしね、シンガポールで働いているところを見た人が1人入っている。東京のレストランへも3回行っている。確かに、高間さんはコック長ではなかった。東京へ帰ってきたばかりの人を、いきなりコック長にはしにくい事情があるんだと思っていた」
「そのレストランの料理はうまかったんですね?」
「旨かった」
「しかし、もしかするとそれは高間さんの手がまったく加わってなかったのかもしれませんよ」
「否。美味しいって声をかけたら、有難う」
「騙す気ならそれくらいのことは言うでしょう」
「騙すって、何のことかな?」
「このホテルのコック長になるのも、悪くないでしょう」
「力がなければ、すぐにばれることだろう」
「そのときはドロンですよ。40万の買物をして、仮に半分のリベートを取るとして悪い仕事じゃないでしょう」
 大貫は面川の目をずーっと見ながら詰問するような態度だった。
「君ね・・・」
「やめてください」
 いたたまれなくなった冬子だった。
「やめてください。本当に」
「ベーコンエッグ。取りに来てくれ」
 亥太郎がブスっと言った。
「なぜ、彼は親父さんはそんな人間じゃないと言わないんです?」
 ミツがナイフをテーブルで叩いた。
「どうした?」
「どうしたじゃないでしょ!」
「困ってるっていうから、徹夜でボイラー直したんじゃない」
「あ、そうだ」
「それはないでしょう。くたびれて入ってくれば、何時までやった?それだけ。ご苦労さんでもありゃしない。くだらないことべちゃべちゃべちゃべちゃ喋って、人の苦労なんて、なんとも思ってないんだから」
「や、分かった。悪かった。じゃ、ボイラー直ったの?」
「今頃何言ってんのよ」
「ひねれば、お湯が出るんだね」
「白けちゃうわよ。そんなこと言われると」
 地下室のボイラーが稼動してる映像が入る。
「皆なにしてるの?ベーコンエッグ取りに来てくれって、言われてるんじゃないの?」
 ミツは何事もなかったかのように、さらっと言い、厨房へ行ってしまう。
「ほんと」
 冬子はその場の雰囲気から逃れるように。そして、皆も厨房へと移って行った。
「あんたなにやってんの?」
 亥太郎は佐々木と寝ている高間の顔に水をかけようとしている。
「亥太郎さん!」
 冬子が止める間もなく、水は高間にかけられてしまう。
「親父さん!オムレツ作ってくれ」
 寝ぼけながら、うーんと唸る高間に言う亥太郎。
「オムレツ作ってくれよ」
「オムレツ?」
「親父さんの腕を疑ってるんだよ」
 そこへ七郎とフク江が、おはようございます、と入ってきた。
「あれ?みな集まってるんですか?何かあったんですか?」
 高間がようやく体を起こした。
「おはよーごぜーます」
「高間さんどうしたんですか?びっしょりで・・・。どうしたんですか?何かあったんですか」
「七郎や。こっちこい」
「皆、集まってんじゃねーか」
「皆と俺たちは違うんだ。なんにでも、首さ突っ込むんじゃね。さ、こいこい」
「おばやん。皆の中に溶け込むのも、仕事の一部だぞ」
「溶け込むこといらねーだよ。せっかく、ここで真っ直ぐ育ってきてるんだ。都会の風に染むことね。さ、こいこい」
「おばやん。皆気ぃ悪くするじゃなーか」
「おばやん」 
 弟子の亥太郎に濡れた頭と顔を拭いてもらっていた高間が声をかけた。
「おばやん」
「おばやんだ」
 亥太郎は高間に続けてフク江を呼び止めた。
「なんだい?」
「味見してもらいたい」
「味見してもらいたい」
「うーん?」
「何の味見ですか?」
 高間がくしゃみをした。
「馬鹿者!」
 と亥太郎に言うが、その顔に怒気はない。
 
 ホテルの全景に変わり、皆は何事もなかったかのようにいつものように仕事をしている。
 大貫は相変わらず康雄や史朗に口じゃなく手を動かさないと日が暮れるとはっぱをかけている。

八ヶ岳高原ヒュッテ 

面川は複雑な気分で食器の包装紙をはがしていた。そこに高間が入ってきた。
「亥太郎。卵3個にフライパンだ」
 そんな高間に顔を向けることなく、面川はなおも包装紙を折りたたんでいる。
「私が、信じられなくなったかな?」
 面川の誤解を解きほぐすような笑顔で言うのだった。
「信じてはいます」
「確かに目の前で料理を作ったことはなかった」
「ええ」
「見せなきゃいけないね」
「わざわざそんなことしたくはないんですが、私もこのホテルに賭けているもんですから」
「コック長が偽者じゃ大変だ」
「偽者だなんて」
「私は偽者じゃーない」
「勿論です。勿論偽者なんかじゃありません」
「信じてくれるかい?」
「信じてます。はじめから信じてます」
「それじゃ、作ることないね」
 高間は面川が自分を信じているのかどうかを試しているかのようだ。
 面川は口では高間のことを信じていると言いながらも、心境は複雑だった。
「亥太郎。卵はやめた。面川さんが信じてくれた」
「高間さん!」
「え?」
「お願いします。オムレツを作ってください」
 どうしてだ?という感じで自分の顔を見る高間に、面川は腰を深く折り曲げながら頼むように言った。
「そう」
「見せていただきます。申し訳ありません」
「やっぱり、信じてもらえないかね・・・?」
「信じられないようなことをしたのは、あなたじゃありませんか。断りもなしに40万もの買物をされたのでは、予算は滅茶苦茶になってしまいます」
「私は、必要な物だけ買ったんだよ」
「食器だってあるじゃありませんか。コーヒーカップもパン皿も。スープ皿も30人分。ほとんど欠けることなく揃ってるじゃないですか」
 面川はすぐ後ろの食器棚を振り返りながら言った。
「間に合わせようと思えば間に合わせるがね。亥太郎。皿を2,3枚出せ」
「今のままじゃ気に入らないということでしょうか?軌道にのるまでは、今の物で間に合わせてもらいたかったんです」
「間に合わせるっていうのは、私は嫌いなんだよ。間に合わせてはいい料理はできない。しなびたじゃがいもじゃ、間に合わせるっていうのは嫌だし。悪い肉で間に合わせるっていうのも嫌だ。私の料理は、この皿ではのらないんだ」
 面川の後ろでうなだれるように立っている亥太郎から皿を取る高間。
「いい料理は、いい食器でもある。私の料理は、この皿でなきゃ嫌なんだ。そういう我儘が、私の料理だと思っている。ただしね、これでも遠慮したんだよ。グラタンの皿もない。デミタスもない。前菜の食器も、デザートの皿も欲しかった。我慢したんだよ。当分は、この買ってきた皿の範囲内で、メニューを決めようと思っている。これはね、最低限度の買い物なんだよ」
 面川は納得したような顔で高間の話を聞いていた。
「オムレツ作ろう」
「高間さん。結構です。私は信じます」
「そんな甘いことでいいのかね。詐欺師なら今ぐらいのことは喋るよ」
「結構です」
「そう。亥太郎。皆を呼んできなさい」
 高間は面川に信じられたことで機嫌よく言うのだった。
「コック長がオムレツを作るってな」
「高間さん」
「皆も疑ってたんじゃないのかな」
「私が話します」
「あー、いい。作るところを見せよう。さ、呼んできなさい。あなたが信じてくれたら、オムレツぐらいいつでも作る」
「すいません」 
 面川は高間に敬意を表するように腰を折った。
「いやーね、皆に信じられないまま皆が見てる前でオムレツを作らされたんじゃ惨めだ。私はね、作る前に、あんただけには信じてもらいたかった。私は偽者じゃない」
 面川はさきほど包装紙をはがしていた顔とは別人のように、にっこりとした顔で高間に頷いた。
 
 高間は丁寧にフライパンを拭いている。
「皆の中に、オムレツみたいな簡単なものを作って、腕が分かるかって思ってる人がいるかも知れない。しかしね、西洋料理の中でいちばん使われるのは卵だ。卵ほどでデリケートで敏感な材料はない。私も短い間だったが、ホテルの調理場で働いていたことがある。オムレツは難しいんだ。オムレツが焼けるようになったら一人前と言われるぐらいだ。さっき、高間さんはしつこいほどフライパンを拭いていたんだがね、卵は匂いにも弱いからなんだ。フライパンの匂いがすぐついてしまうし、汚れがあれば焦げ付いてしまう。サラダオイルを綺麗にひいて強火にかける。卵は、強火で焼くのがコツなんだ。びくびくやってたんでは、すぐ失敗してしまう」
「面川さん」
 面川は黙々とオムレツに取り掛かっている高間を見つめている皆の前で説明をしていたが、大貫が前置きはいらないのではというふうに、面川の名前を呼んだ。
「分かってるよ。余計なこと言うなっていうんだろうがね。オムレツの難しさを説明しておく必要があるんじゃないのかね。卵の難しさを分かってなければ、どんないいオムレツ見ても、なんだ。ただのオムレツじゃないかと思うかもしれない。」
「そういう人がうまいと思うことが大事なんじゃないですか?」
「そりゃそうだ。高間さんがおばちゃんに味見をお願いしたのも、失礼だけどそういう意味からかも知れないね」
 有馬フク江は何をやってるんだろう?という顔で高間を見ていたが、面川にそう言われてもどういう事態なのか把握していないような顔である。
「少し黙ることにしよう。皆でしーんとして見ているのも悪い気がしてね」
「親父さんのオムレツははっきり違うんだ。塩、胡椒。それに牛乳を少し入れる。しかし俺がやっても、同じにはいかない」
「先入観を入れるのはよしましょうよ。今は、高間さんの腕が本物かどうかということを黙って見ていればいいんじゃないかな」
 油が煙を上げるぐらい熱くなったフライパンに溶き卵を入れ、手際よくフライパンを振るう高間。
 そんな彼を皆は凝視していた。
 そこに「ふぁー」という寝起きの声が響いた。
「あ、こりゃ、皆さんおそろいだね」
 むさくるしい格好の村田が毛布をはねのけ、起き上がってきた。
「ちょっと待っててくれませんか」
「は?」
「今大事なところなんで待って下さい」
「はい。弱りました。はーあ」
「やかましい」
 高間と同じように村田に言う亥太郎。
「味、見てくれますか?」
 最後にフライパンの柄を軽く叩きながらオムレツの形を整え終えた高間の言葉だった。
「はい」
 気の抜けたように答えるフク江。
 優しくオムレツをフク江に差し出す高間。
「さ、どうぞ」
「おばやん。責任重いな」
 そういう七郎の言葉に軍手を脱ぎ、慣れないフォークを手に取った。
「そんなちょっぴりじゃなく、もっとたくさん。そうそう」
 神妙な面持ちで焼きあがったオムレツを口にしているフク江。
「どうかな?」
「どうだい?おばやん」
「いっこも美味くねぃ」
 不安そうな顔の高間。
「いっこも美味くねぃ」
「なんだって?どこが美味くないか、言ってもらおう」
「味を議論してもどうこうなるもんじゃないでしょう」
「掃除行ってもいいかい?」
 立ち上がるフク江。
「ちょっと待って、おばちゃん。おばちゃんね。高間さんの名誉がかかってるんですよ」
「美味いって言えっていうだかい」
「そうじゃない。どこがどう美味くないか、それだけ聞かせてくれませんか」
「本当は美味かったよな?」
 七郎は高間に気兼ねするかのようにフク江に聞き返した。
「馬鹿こけ。こら、嘘言わねーだ」
「味付けがいけなかったのかな?」
「おら、卵は好きだ」
「うん。それがどうして?」
 面川は自分の選んだコック長のプライドを守るかのように、フク江の真意を聞こうとしている。
「ちゃんと焼いた卵焼きなら好きだが、これ、中ぐちゃぐちゃで」
 フク江に味見を頼んだのを後悔しているような顔の高間。
「おばちゃん。オムレツはね、表面が焼き上がってて中はやわらかいというのがコツなんですよね」
 やっぱりフク江にはオムレツというものを理解できなかったのかという後悔と、その半面安堵するように、高間に同調を求める面川。
「もうひとつ気にいらねーだ。おら、醤油と砂糖を使って、甘くてしょっぺーのが好きだ。これ、味ぼんやりしてて、赤ん坊にくれるようなもんだな」
 フク江は、さも不味そうに残りのオムレツをフォークでかきまぜながら言った。
「卵は濃い味付けをすると、本来の味が消えてしまうんですよ」
「理屈はどうでもいいけんどもよ、不味いものは美味くねーもん」
「俺はね。俺は17のときから洋食1本でやってきたんだ」
「おごっそうさまでした」
 そう言うフク江を捕まえようとする高間。それを止める皆が揉みあった。
「何言ってんだ、あいつは」
「ま、任してください」
 なだめるしかない面川だった。

 ベッドで熱を出したかのように寝込んでいる高間を、村田がタオルで冷やしている。
「あの、おばやんのやつ。俺の一生を侮辱しやがって」
「脳溢血になるぞ」
「あの女。ぐーの音も出ない美味いやつを作ってやるんだ」
「そうだ。その心がけだ」
「泣いて喜ぶようなのを作ってやるんだ」
「そうだよ」
「それでな、2度と作ってやらないんだ」
 うなされているかのような感じで言う高間だった。

 面川と大貫は各部屋の修理箇所をチェックしている。
 壁紙、絨毯、ソファーにベッド。それに窓ガラスや、風呂場のカランなど細かくだ。
「外回りまで手が回るかどうか分かりせんね」
「外回りが優先だ。部屋は5つだけそろえばいい」
「どういう意味です?」
「外回りの修理を半分だけ残して、お客様を迎えるわけにはいかないだろう」
「部屋を残すということですか?」
「さしあたって5部屋だけを整備して開業する」
「部屋は商品じゃないですか」
「だからいい物を入れる。残りの部屋は余裕が出来次第整備する」
「10人の人間が食っていくんですよ。余裕ができると思いますか?」
「無理矢理でも、余裕を作るんだよ。いちいち反対しないでもらいたいね。君はけろりとしているがね、高間さんのことはどうなんだね?」
「どういうとは?」
「高間さんのことを詐欺しかなんかのように言ってたんだぞ。その判断が間違ってたことの反省かなんかはないのか?」
「あの仕入れ業者のことについてはっきりしたいもんですね」
「じゃ、高間さんの腕についてはどうなんだ?まだ偽者だと思ってるわけじゃないだろ?」
「相当なベテランだということは認めます」
「つまり君の判断が間違ってたんだ。それならそれ相応の顔をしたらどうなんだい。すぐけろっとして私の言うことに反対する。少しは、小さくなったらどうなんだい」
「判断の間違いは誰にもあります」
「だから気にしないというのかね」
「そうです」
「そうです?」
「間違ったからといって小さくなっていたんでは、言うべきこともいえなくなってしまいします」
「だが、間違ったらその分減点になるんだ小さくなって、当たり前だろう。私の判断が間違ったら、私が小さくなる。得点の多い者が発言力を強めるんだ。そして、現時点では私のがはるかに得点を稼いでいる。対等なような顔をしないでもらいたいね」
「いいでしょう、それでは今後、点のとりっこをしましょう。私のが得点多かったらでかい面しますよ」
「ああ、いいとも。しかし、今はこのバケツを下に片付けてきたまえ」
 面川は大貫をからかうようにバケツをさしながら言う。
「片付けてきたまえ」
「いいでしょう。しかし、5部屋で開業だなんてことは、絶対、反対ですよ」
「聞いておく」
 大貫は馬鹿丁寧に頭を下げ部屋を出て行った。
 面川はしてやったりと勢いよくドアを閉めた。すると、そのドアが外れ倒れてしまった。
「これも修理か!」
 
 夕暮れの八ヶ岳が映し出され、やがて夜のホテルの外観へ。
 小さな日記に綴られた 小さな過去のことでした 私と彼との過去でした 忘れたはずの・・・
 暖炉の前で史朗と冬子が歌っているところに面川がやってきた。
「どうぞ」
「いいんだ。康雄君はどうした?」
「え・・・」
「喧嘩でもしたのかい?」
「ひがみっぽいんです。あいつ」
「あら?喧嘩したの?」
「喧嘩ってわけじゃないけど、俺がこの人とちょっとし話してると、すぐすねちゃって」
「妬いてるな」
「困るわ、私」
「いいんだよ。勝手に妬いてるんだから」
「だって、私、別にあなたのこと・・・」
「ほっとけばいいんだよ、あんな奴」
「あぁ、これ以上もめごとふやさないでくれよ」
「今きますよ」
「有難う」
「皆に集まってもらうからね」
「はーい」
 フク江の肩をもんでいる七郎が面川の呼びかけに応えた。
「なにやるんですか?」
「ちょっと皆に聞いてもらいたいことがあってね」
 皆があっちこっちから集まってきた。
「えー、楽にして聞いてもらっていいんです。食事のときに話せばよかったんだが、日にちがもうひとつ決められなくて今になってしまいました。実は、しや明後日、開業することにしました」
 皆は驚きの顔で面川を見上げた。
「しや明後日?」
「早すぎると思うが、皆のおかげでここまでの工事は終わった。明日大工さんが来てくれる。我々の手に負えない所を直してもらう。しかし、小さな修理は平行してミッチャンの指示で、史朗君と康雄君にやってもらう。七郎君は大貫さんを乗せて、買物に行ってもらう。足りないものを2人で1日かけて買物をしてきてもらう。私は東京へ行って来る。季節が悪いからすぐさま効果は出るかどうか分からないが、お客様になってくれそうなところを1日かけて歩いてみる。足りないものも東京で買い物を済ませてくる。明後日は主として、壁紙の張替えとペンキ塗りをやる。部屋の整備はしや明後日の朝。午後からなら、お客様を迎えることができると思う。とにかく、1日でも早く開きたい。開業しなければ、予算は減っていくばかりだ。無理はあるだろうが・・・。初めて来るお客様にあわてて準備したという印象を与えたくない。部屋は、BCEFHの5部屋だけだ。あとの4部屋は収入があり次第整備していきたい。それをお願いしたい。何か質問はないかい?」
「はい」
 大貫が手を上げた。
「君とは十分に話し合ったからもういい。他にないかい?」
「しや明後日というのは初耳です」
「そりゃそうだ。今決めたんだから。実は、高間さんのほうの準備が問題だった。普通なら仕込みは5日間は欲しい。しかし、高間さんはもうすでに仕込みを始めてくれていた。しや明後日のディナーに十分間に合うと仰ってくれた」
「料理はそれでいいでしょう。しかし、問題は部屋の準備じゃないですか?聞いていると、いかにも滑り込みセーフのようですが、予定は必ず狂うものです」
「狂わないようにする」
「初めてのお客様の印象は大事なんじゃないんですか?」
「勿論だよ。こういう小さなホテルは、口から口へと評判が広がっていくしかないからね」
「だったらあと2日遅らせるべきです。皆の訓練もまだ行き届いてないじゃないですか!」
「それを、これからやるんだ。今日から3日間で基本的なことを覚えてもらう。康雄君はホテルにいた。冬子ちゃんは食堂にいた」
「はい」
「ま、まったくの素人ばかりじゃない。君だって、ずいぶん勉強してきたんだろう」
「制服はどうするんですか?」
「勿論それはね、はじめは蝶タイとエプロンで間に合わせる。エプロンはおばちゃんに頼んであるんだ。間に合いますよね、おばちゃん」
「いいよ」
「とにかく、目標はしや明後日だ」
「しかし、考えてみれば色々と・・・」
「いいかい!気が緩むから言いたくなかったんだが、君が口を挟むようだから言おう」
「なんですか?」
「しや明後日の開業日にお客様が来る可能性は、90パーセントない」
 皆が面川を再び見詰め直す。
「しかし、目標はしや明後日。1人か2人か分からない。お客様は私が、きっと連れてくる。頑張ってもらいたい」
 物音がして皆が振り返った。
「今晩は。驚くことはなかっぺ。おらーどれくれーいい材料か、見てもらおうと思ってよ」
 仕入れ業者の村田がビニール袋に入れた肉を高間に見せるのだった。

 村田は高間と酒を飲んだのだろうか?酔いながら感激している。
「おらー、嬉しい。皆がおらの材料を見る目を認めてくれたのが、おらー、嬉しい」
「分かった、分かったよ今度から玄関からでなく、こっから入って来るんだぞ」
「分かってるよ。おらにだって、常識ってもんがあるんだ」
 亥太郎に村田を見送るように言う高間。
「なかなか材料を見る目があるみたいですね」
「まだまだだが、真面目なところがあるのがいい。仕込めば、いい商人になる」
 そんな高間に、にっこりと応える面川。
「お休みなさい」
「お休み。あんたも早く寝なさい。亥太郎は勝手に帰ってきて寝る」
 面川が他のところにいる大貫に声をかけた。
「どうしたい?」
「いえ。もう、寝ようと思って」
「1杯飲んだらどうだい?いけるの知ってるよ」
「いいえ。あなたが禁酒してるの知ってます」
「私ならいいんだ。そばで飲まれたぐらいでぐらぐらしない」
「とにかく、一方的にやられっぱなしでした」
「うん?」
「あの男だけは胡散臭いと思っていましたが、彼も信用できるとなると、私の判断はいいとこなしです」
「気の弱いこと言うじゃないか」
「正直言って、たかをくくっていました」
「なにを?」
「社長のお嬢さんのご亭主ということだけでこういうホテルの支配人としての能力はないと思っていました」
「多少はあるかね?」
「多少はあります」
「光栄だね」
「こういうときに意見を言うのは勇気がいります」
「ま、思ったことはどんどん言ってくれ」
 面川は椅子の背にもたれて大きな伸びをしながら応えた。
「では、反対されるのを承知で言うんですが」
「もう言うのかい?」
「今までのハイランドホテルとうのはあまりいい名前じゃありません」
「うん」
「明日東京へいらっしゃるんなら、今までの名前じゃないほうがいいと思います」
「私もそう思ってた」
「本当ですか?はは。初めて賛成されたな」
「どんな名前がいい?」
「誰にでも分かる。イメージのはっきりしたものがいいと思います。洒落た感じも必要でしょうが、カタカナの名前だとすぐ古臭くなったり、安っぽく響いたりすると思うんです」
 面川は大貫の顔を食い入るように見詰めている。
「それで?」
「ここは八ヶ岳の高原なんですから、それをはっきり謳うほうがいいと思うんです」
「だから、なんてつけるんだい?」
「芸がないと思われるかもしれませんが」
「前置きはいいよ」
「どうせ反対なんでしょうが・・・、八ヶ岳高原ホテルにしたらどうかと思ってます」
「私もそう思った」
 面川が素直に応える。
「いい加減なこと言わないで下さいよ」
「いい加減なことで言えることじゃないだろう」
 面川はははと笑った。
「意見の合うこともあるんだな。これからも、君の意見に従うこともあるだろう。ま、せいぜい、やりあっていこうじゃないか!」
 声高に笑いながら部屋に戻って行く面川の後姿に、大貫は狐に化かされたような顔だった。

 照明器具を取り付けたりシーツのアイロンがけ。料理の仕込みの光景。面川の東京での姿。
 夜。面川のいないホテルでは皆が集まっている。
「やめてください。それなら、やめます」
 皆の拍手を受け萎縮してしまう冬子。
「さ、言ってごらん」
「よくないんです。よくないから面川さんが帰ってくる前に皆に聞いてもらって直してもらおうと思ったんです」
「直してあげるよ」
「難しいよね。パンフレットの文章なんて」
「私、初めてだから。ごめんなさい。ミツさん」
「別に」
「いいですか?おばちゃん」
「気にしなくていいよ」
「じゃ、ちょっと読みますけど。あの、写真でね八ヶ岳の下にこのホテルがあって、私の文章は空の部分にあって、裏側にはここまでに来る地図とか値段とか具体的に書いてあって、そういうパンフレットがそうです」
「なるほど」
 高間が言うと、史朗が拍手した。
「じゃ、読みます。街がたまらなく嫌になったら、高原へいらっしゃい。自分の顔が嫌になったら、高原へいらっしゃい。あの人のことを忘れたかったら、もう1度20才になりたかったら、高原へいらっしゃい。効き目はないかもしれないけど、同じ仲間がホテルにいます。ホテルは丘の上。ホテルは人。ホテルは灯火。ホテルはあなたを待ってます。これだけ」
 皆はそれぞれに何かを思い浮かべているような顔で、冬子の声に酔いしれているようだった。
「えー、なるほどね」
 史朗がまた1人拍手した。
「どうかしら?」
「いいよ。凄くいいよ」
「遠慮なく言わせてもらうと、ちょっと偏りすぎてるんじゃないかな?ん。ここに来る人は都会がたまらなく嫌になってくるとも限らないし、誰かを忘れたいとか、自分の顔が嫌になったからとか20才になりたいとか・・・。そういう人はむしろ少なくて、もっと気軽な人が多いと思うんだ。新婚旅行で来る人もいるだろうし」
「いい詩だと思うんだけどな」
「宣伝文句を考えてるんだろう?」
「お前ね。突っかかって気を引こうって気持ちは分かるんだけどさ」
「どういう意味だ!それは?」
「まぁまぁ。宣伝文句としてはもう少し考えたほうがいいと思うが、しかし、しかしだね。この可愛い、悩みごとなどまったく何もない明るい冬子ちゃんがだね、こんな誌をよく書けるもんだね」
 そういって、高間は史朗と康雄をなだめるように言うのだった。
「冬子ちゃんは、何かな?自分の顔が嫌になると思えないから、あ、あの人のことを忘れたい口かな?」
「私・・・」
「高間さん!過去のことについては触れないようにしたほうがいいんじゃないですか?」
「あ、そうだったな。お互いに」
 冬子は誰かのことを思い出しているのだろうか?そんな表情をしている。

 夜汽車の中では面川がメモしている姿。七郎は大貫とジープで走っている。
 高間は小話をしている。皆が笑っているところに電話が鳴った。
「もしもし。は?はい。八ヶ岳高原ホテルでございます。はい。予約?予約でございますか?」
 予約?と呟く高間の声に皆が電話を聞いている康雄のほうを見た。
「はい、小淵沢で乗り換えて。はい。はい、小海線です」

 
ついに客からの予約が入り、皆はどよめくのだが・・・ 


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  1. 2008/07/29(火) 11:04:13|
  2. 「高原へいらっしゃい」のストーリー
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高原へいらっしゃい 第2話

第2話 鳥居ミツと高間麟二郎の正体

知らぬもの同士が、閉じている高原のホテルに集まってきたのは3月下旬であった。
集めたのは面川清次である。
誰もが見放したこのホテルを、泊まった人の心にいつまでも残るように、さわやかで暖かいホテルにしないかというのである。
予算は少なく、月給も満足に払えない。
だから、嫌な人を引き止めることはできない。
しかし、コンクリートと排気ガスの東京よりホテルの成功というはっきりした目標がある。
この高原の生活のほうが生き甲斐があるかもしれないと思う人は残ってほしい、
1人1人、その能力を見込んでかけがいのない人を選んだのだから。面川の弁舌はよどみがなかった。そのよどみのなさ。調子のよさに、胡散臭いものを感じるものもいた。
何か裏がるのではないかという思いは誰の胸にも残った。
しかし、東京に戻ると言いだす者はいなかった。
それぞれがひそかに抱く、それぞれの孤独が、高原での新しい生活を求めたからだった。北上冬子、高間麟二郎、高村康雄、鳥居ミツ、服部亥太郎、小笠原史朗。
会社から派遣されてきたという大貫徹夫。そして、地元から加わった杉山七郎と有馬フク江。
メンバーは10人であった。まだ風の冷たい、春の兆しも見えぬ、雪の残る高原での第一歩であった。

 
こんな田中信夫さんのナレーターが2話から挿入されました。

 皆がてきぱきとベッドのマットや毛布のほこりをはたいたり風呂場の掃除をしている。
 しかし、ミツだけはゆっくりとマットレスを2階から運んでいた。
「あーぁ。疲れた。何してんだろうな、あいつは」
 史朗はそんな彼女を見つけると、もうちょっと急いでよと怒り、康雄には彼女の悪口を言ってしまう。
「なんだっていうんだ!あの女。たらたらばっかりしやがってよ」
「まだ?」
「今来るけどさ。有能な奴ばっかり集めたって言って、あいつはちっとも有能じゃないじゃないか。何がとりえがあるっていうんだ、あの女」
ミツはそんな史朗と康雄にマットレスを運んできた。
 そんな時、キャーという悲鳴が響いてきた。
 風呂場を掃除していた冬子がねずみを見つけて叫んだのだ。
 皆がどうしたんだと駆け寄ったときは、すでに七郎がねずみを捕まえていた。
 それは生まれたばかりの赤ん坊のねずみだった。
「見てみるかい?」
 七郎が冬子とミツにそのねずみを近づけると、2人は飛び上がるように叫び声をあげ、皆に笑われてしまう。
「面川さん。少し早いけど一服しませんか?」
「一服?」
「ちょうど皆も集まったし、9時50分のお茶っていうのはどうですか?」
「そりゃいいですね」
「何を言ってる。ホテルの仕事に9時も10時もお茶の時間なんてものはないよ」
「営業すればそうでしょうけど、今日は早くから皆もよく働いたし」
「7時から3時間足らずじゃないか。おばちゃんを見てみろ。ねずみぐらいじゃ、びくともしないぞ」
 面川はすぐ後ろで掃き掃除をしているフク江を見ながら言った。
「さ、昼まであと2時間だ。客室の半分は午前中までに片付けよう」
 手をたたきながら皆を元の仕事に戻れといわんばかりの面川。
 大貫も、仕事場に戻ろうと皆に声をかけた。
 そんな彼を面川は2階に呼んだ。
「どういうつもりだい?10時のお茶なんていうことは、君が言わなければ皆考えてもいなかった。君は会社でお茶を飲んでいたかい?」
「勿論飲んでいませんでしたが、ここではその必要を感じたんです」
「分からないね」
「皆ばらばらで寄せ集めじゃないですか」
「昨日の今日だ。当たり前じゃないか!」
「ねずみ騒ぎで皆が一緒になって笑いました。そういうチャンスに、30分休憩して冗談を言いあえば、どれだけ気持ちが近づきあうか分からないでしょう」
「今日休めば明日も10時に休むことになる」
「払うものも払ってないんです、普通より休ませるって印象を与えるのも悪くないんじゃないですか?」
「機嫌をとっていたんではホテルは開けないんだ。一緒にやろうといって、皆もやる気になってる。気の緩むようなこと言わないでくれ」
 そんなところに高間が野菜の仕入先を決めて帰ってきた。
 大貫は肉と魚はどうしたか聞くと、この地元じゃ無理だと言われてしまう。
 地元を大事にしないで潰れたホテルがあるという引き合いを出して、大貫は是非下の村で仕入れてくれと言う。それに対して面川は高間に自由にやってくれと言った。そして、大貫には仕事に戻りたまえと命令する。
「高飛車は駄目だよ。いいかい、大貫君。材料って物はね、材料を見分ける目があるだけじゃ駄目なんだよ。なんとしてもいい材料をつかんでくるという熱がないとね。下の店には、その熱がない」
「そんなことが簡単に分かりますか?」
「分かる。店と主人を見れば、分かる」
「勘ですか?」
「勘にも色々あるがね。私の勘は正確だ」
「そりゃそうでしょうね」
「好きにやらせてもらうよ」
「いいかい。土地の人のことを軽く見てるわけじゃない。現にあのおばちゃんを雇ったんだ。料理だけは最高のものを出したいっていうことで、あの高間さんにきてもらってるんだ。僕のホテルのキャリアは13年だ。君のにわか勉強でがたがた言ってもらいたくない」
「そうはいきません。私は社長命令で出向してきた人間です。予算の300万の管理が私の仕事です」
「だったら管理したらいいだろう。余計な出費は出さない」
「いくらけちけちしていてもホテルが成功しなければ、元も子もありません」
「そこまで、君に責任はないよ」
「私は責任があると考えています。社長は私をただの金庫番として出向させたんではないと思います。ホテルを絶対に成功させたいんです」
「君以上に私もそう思っている」
「今後も意見を言わせてもらいます」
 そういう大貫に歯ぎしりする面川だった。
「殴りたければ殴りなさい」
 面川を呼ぶ史郎の声。
「肉と野菜は、一応よいことにします。様子を見ましょう」
「面川さん。面川さん」
 大貫に対する不満。史郎にせかされる掛け声に面川は史朗のほうへ行くことにした。
「面川さん」
 ガラスをたたく史朗。
「なんだい?」
「あの鳥居ミツって女の人。怠けて頭きちゃいますよ」
「どこにいるんだい?」
「ねずみの後どこかいっちゃいましたよ。マット運ぶっていうから待ってたのに、来ないじゃないですか」
「探してくる」
「あの人のどこにとりえがあるんですか?どこかとりえがあるから選んだんじゃないんですか!」
 そう言われきっとなって史朗を見る面川。
「怠けていて、とりえなんてないんじゃないんですか?」
「まわってこいよ。彼女のことは皆に話さなかったな。まわってこいよ」
 庭にいる史朗に言った。
 面川はミツの部屋に行った。
「この部屋も寒いな。皆、昨日は寒くてだいぶこたえたらしい」
 そう言いながら腰掛ける面川。
「不満だろうと思ってた」
 ミツの気持ちを気遣いながら言った。
「すぐ行くわよ」
 煙草を吸いながらのミツ。
「いいんだ。掃除なんかするために来てもらったんじゃないんだ。ただ、すぐにはやる気にはなれないだろうし、特別扱いはしないでほしいと言ってた。それで皆と同じようにしてもらったんだ」
「それでいいわよ」
 と相変わらずベッドに寝そべっている。
「そうだろうね。でも、僕のほうが焦れてきてしまってね。君にここまで来てもらったことが自慢なんだ。こんな有能な人を見つけたんだぞって、早く皆に自慢したいんだ」
「どうだか・・・」
「本当だよ。現に昨日だって皆の前で言おうとしたじゃないか。それを君が言うなっていうから、我慢したんだよ」
「本当のことだけ言うんなら、止めやしないわよ」
「そりゃそうだろう」
「どうってことのないウエートレスのことまで綺麗だのなんだのって調子のいいこと言うから、私の時にはなに言われるか、ぞっとしたのよ。私、お世辞嫌いだからね」
「そうか」
「あんなウエートレス。綺麗だなんて言われたもんだから甘ったれて、ねずみぐらいでキャーキャー言って人集めて」
「どうだい?皆に見せてやろうじゃないか!君がすごい人だってところを見せてやろうじゃないか!」
「そんなこと言って働かせようったって駄目よ」
「そうじゃないさ」
「だって、現に困ってるんでしょ」
「うん。困ってはいる。しかし、無理に働かせようとは思ってない。大事な人だからね」
「そんなこと皆に言ってんでしょ」
「言ってないさ」
「分かってるわよ。皆に美味しいこと言って、君が一番大事だからって皆を連れてきたくせに」
 ようやくベッドから起き上がるミツ。
「僕は悔しいだけだよ。さっきね。誰とはいわないけど、鳥居ミツさんてどんなとりえがあるのって聞かれた」
「あのウエートレスでしょ」
「違うさ」
「じゃー、あの変な顔した奴でしょ」
「変な顔?」
「バーテンよ。あいつ、人にマットレス早く運べって、偉そうに・・・」
「君の能力を知らないからだよ。僕は悔しかったよ。何をいうんだ?君どころか、ミツさんには君たちにはとうていかなわない能力があるんだって、しゃべりまくりたかったよ」
「本当にそう思うならしゃべればいいじゃない」
「口で言うより、見せたいんだよ」
「うまいこと言うわね」
「実はね、皆を集めてるんだ」
「皆を。何をするの?」
「皆の前で、君の力を見せたいんだよ」
「ブツブツ言いだしてるのがいるんでしょ」
「それもある。僕はね、君がただの怠け者だと思われるのが辛いんだ」
「やーね。私、そんな自慢たらしくやりたくないわよ」
「皆がびっくりする顔が見たい」
「条件があるわ」
「なんだい?」
「あのウエートレスのことは冬子ちゃんていって、私のことはミツさんていうの。そりゃ、むこうのが男好きするからだろうけど・・・」
「君に敬意を表して」
「同じにしてよ」
 ミツは照れ隠しのため部屋を出て行ってしまう。
「いいとも」
 面川はそんなことかと思い、笑いながら応えた。
 2人はボイラー室に行った。
「オートマチックじゃないんだけど、さしあたってこの旧式のボイラーでやっていかなくちゃならないんだ」
 そう言いながら面川は皆をボイラー室に招き入れるが、ミツは無言でボイラーの様子を見ている。
「皆に、ミツさんがどういう人だか紹介するのが遅れたけどね、ミツさんは・・・・あ、ミッチャンだ。これから皆、ミッチャンて呼ぶことにしよう。とっつきは悪いけど、いい人なんだ。蒲田で働いてるところで知り合ったんだけど、なんとしてでもこのホテルに来てもらいたくて。ボイラーは1級免許を持っている。電気はビルの配線工事もしたことがある。それに、溶接もできるんだ。それもただの溶接じゃない。なかなかやる人のいないアルミニウムの溶接も3年前にちゃんとマスターしたっていうんで、驚いてるんだ」
「明日までね」
 ようやく口を開くミツの姿には自信があふれていた。
「そう。明日までかかる」
「私のバッグきてるわね」
「お、きてるよ」
 面川はバッグをミツに渡した。
「見せもんじゃないのよ」
「分かってるさ」
「ミッチャンの働くところが素晴らしいんで、皆に見てもらいたくてね」
「そういう言い方が、私嫌いなのよ」
 ミツはいろんな工具が収められているベルトを腰につけ、そのなかのラチェットと呼ばれる穴あきの工具に指を入れてまわしてみた。そして、さっとベルトの鞘に戻すのだった。その姿はガンマンが拳銃を何回もまわしてベルトに戻すしぐさと似ていて、格好いいものだった。
「へー。格好つけてるね」
 七郎が言った。
「出て行って。からかうんなら出て行ってよ」
 ミツはそう怒鳴ってしまう。
 皆はボイラー室を出て行った。

 冬子がボイラー室から食事をしている皆のところへ戻ってきた。
「どうした?」
「ご飯どころじゃないって言うんです」
「そう。食べて」
「言うと思ったんだ。俺の友達でボイラーの免許持ってるの何人もいるし、あんなのに手加減する必要ないんじゃないですかね」
 史朗が面川に言う。
「仕事ぶりが抜群なんだよ。確かに愛想はないが、人間は悪くない」
「面川さんは馬鹿に肩入れしてるけど」
「惚れてんだよ」
「え?」
「彼女だけじゃない。僕は自分の選んだ人皆に惚れてるんだ。今日はミッチャンばかり褒めることになったけど、史朗君にだって惚れてるんだよ」
「そんな・・・」
 照れ笑いする史朗。
「いちいち言わないけど、ここへ来てもらった人は皆、凄いところがある。悪い人は1人もいない。多少の買いかぶりはあるかもしれないけど。皆に惚れてるんだ」
「そういうサービスはよしませんか」
 さめた言いかたの康雄。
「サービスじゃない。本気だよ」
「なんだか馬鹿にされてるような気がしますよ」
「誤解だな」
「そんなふうに気遣ってくれなくても、やり甲斐があると思えば一生懸命やりますよ」
「有難う」
「ただ、あなたの為にやると言ってるんじゃないんです」
「よさないか!せっかくの食事がもったいないよ」
「まったくだ。な、七郎君」
「いや、そう言われると困っちゃうけど、楽しく食べ終わっちゃいました」
 面川は七郎の食べ終えた食器を見て笑ってしまう。
「どうですかな、皆さん。味のほうは?」
「美味しいわ」
「とっても旨かったです」
「有難う、しかし、毎日私の料理を食べていたら、こんなの気の抜けたシャンペンみたいなもんだよ。えー。亥太郎。材料が泣いているって、今叱っていたところだ。皆も、味についてはもう少し厳しくなってもらいたいな」
 首をかしげながら厨房に戻る高間。
 そんな高間に、首をすくめながら言葉なく会釈をする亥太郎。
「やられたね」
「七郎や」
「なんだい、おばやん」
「よそもんはああいうもんだ。褒めさせといて、足すくうんだ。おごっちそうさんです」
 料理に対して皮肉とも思えるように、そして皆にも深く頭を下げて言うフク江。
「分かった分かった。おばやん」
 皆の目を気遣いながらの七郎。
「食休みはむこうでやらすわ」
「おばやん。ええけ」
「いいから、こいってば。ここに一緒にいてもろくなことはないだば。馬鹿にされるのが落ちだば」
 さっさと奥へ行くフク江に気まずそうについていく七郎だった。
「そんなこと言わなくたって、ええじゃねーか。一緒に仕事するんじゃねーか」
「もらった分だけ働くんだ。愛想言う金もらってねぇ」
「や、おら皆と一緒にいたいんだけども、ま、1人にもしておけねーから。おごっそうさまでした」
 田舎者らしい純朴な七郎がしかたなしに奥へ行くのだった。
「まったく、昼飯ひとつ、うまくいかないもんだね」
 自嘲気味な面川だった。
「気の抜けたシャンペンか・・・。なかなかうまいこと言うな」
 そう言いながらスープを口にする面川。

 夕暮れの八ヶ岳が映し出される。
等の歌。
 
夜の心の 暗闇から 夢はわいてくる 
 けれど おはようの 朝はくる


 ミツは黒く汚れた軍手でボイラーを直しているが階段を下りてくる足音に気づいた。
「誰?誰よ!」
 黙ってドアを開けミツに近づく男。
「何の用?」
「俺の飯を2度も断るのはどういうことだ?」
「断ったわけじゃないわよ。きりがいいところで食べるって言ったのよ」
 黙って布巾を取り食事をミツに突きつける亥太郎。
「むこう行って食べるわよ。食べるわよ、後で」
 無言でミツに食事の載った盆をミツに押し付けてしまう。
「食べるわよ。食べるって言ったでしょ。暖かいうちに」
 そういって亥太郎を見上げるミツ。

 薄暗い厨房でタバコに火をつける面川。
 そこに冬子が入ってきた。
「ミツさん、食べてます。ドア越しですけど、亥太郎さん。面川さんが言えって言った通り言いました」
「そう。こない?」
 面川は冬子にそばに来ないかと言った。
「俺の飯を2度も断るのはどういう訳だ?これだけ。後は何も言わないんです。少ししたら食べるわって。ミツさん」
「そう」
「女同士は駄目ですね」
 椅子に座りながら責任を感じるように言う冬子。
「対抗意識があるんだろう」
「ないですけど」
「むこうは、君ほど美人じゃないし」
「そんな・・・」
「あの仕事だけが誇りだからね。食事だからって、はいはいって言ってすぐに食べるような、そんな簡単な仕事じゃないんだっていうところを見せたいんだろう」
「亥太郎さんに持って行かせたのに感心しました」
「食べさせないと、参っちゃうからね」
「人間の、いろんなことを知ってるんですね」
「どうかな?ま、ホテルは長かったからね。人間の面においてはいろんなことを覚えるね」
 
 康雄に七郎と大貫のいるロビーに戻る七郎。
「喋ってるけど、座っちまったよ。あそこで」
 ふーんといった康雄。
「一緒に歌おうと思って、こうやって待ってるのに。あんた!今日は早く帰ったほうがいいよ」
「でも、今日はおばやんもう送ってきたから俺。何時になっても構わないんだ」
 七郎は皆と一緒に、昨日のように歌うのが楽しみのようだった。それは、七郎だけでなく史朗や康雄もそのようだ。
「いくら待っても、昨日のようにはいかねーよ。野郎ばかりで歌うったって、面白くも何でもねーだろ」
「今に来るっすよ」
「1時間以上待ってんだよ。これ以上待ってたら男として格好つかねーじゃねーか」
「そう言われればそうだけど」
「そういうところに敏感になんなきゃ駄目だよ。あんた!」
「そういうところを、色々と教えてもらいてーな」
「教えてやろうか!格好ばかり都会人ぶったって、駄目なんだよ。いいか?そういう気風みたいなもんをきちんとしないと、都会じゃ恥かくぜ」
 フリルのついたジーンズに触りながら説教がましく言う史朗。
「そういうとこ、難しいんですね。ふーん」
 と鼻を鳴らすよう言う七郎に噛み付く史朗。
「お前の言い方、ちょっと癇に障るな」
「へ?そうかい」
 2人とも待っている間に飲んでる酒がきいているようだった。
「大貫さん!本当のところ、面川さんていうのはどういう人なんですか?」
「どうって?」
 帳面に目を通したままの大貫。
「社長に見込まれてこのホテルを任されたっていうのは、本当なんですか?」
「そういうことだな」
「見込まれなきゃ、こんなホテル任される訳ないし・・・」
 面川のことが不思議でならない康雄。
「だけど、金の出し入れは大貫さんが管理してるんでしょ。そうなんでしょ。しかし、300万の金の管理のために社員の、それも課長待遇の大貫さんをここに出向させるなんて、勘定にあいませんね。見込んだんなら、普通は面川さんに任せるだろう。給料のほかに大貫さんをつけてよこすっていうのは、面川さんを信用してるんだかどうだか分からないってことだろう。なんかあるような気がするな。どういう人なんですか?面川さんは」
「君たちを騙したりすることはないと思うね」
「でも、裏があるにはあるんでしょ」
「私の口からは言えないな」
「つまり、あるってことですね」
「ホテルを成功させるっていう気持ちに嘘はない」
 そこに電話が鳴った。
「いいかい!今のような質問に、私は一切答えない」
「え?高間さん。コック長。小諸?小諸で、いったいなにをしてるっていうんですか?えー?泊まる?明日の朝・・・」
 大貫はその電話のことを面川に報告している。
「とにかくべろんべろんに酔っ払っていました。まさか、仕入先を小諸に決めた訳ではないでしょうが、もう少し監督するべきじゃないでしょうかね」
「うん」
「2日目によそに泊まるなんて、滅茶苦茶じゃありませんか」
 大貫の言うことを黙って聞いている面川。
「前から言おうと思ってたんですが、我々の食事にしても贅沢すぎますね。ブイヤベース風といい、夜のひき肉料理といい、あんなもの毎日出していて、経営が成り立つと思うんですか?あなたは本当に、本気でこのホテルを成功させる気があるんですか?」
「本気じゃないって言うのか?」
「それを聞いているんです」
「じゃ、今日の食事から答えよう。昼の料理は主にあらをつかって、パン代をいれても、手間を省けば1人45円だと聞いている。夜も野菜は仕入先の佐々木さんからのもらい物だ。ひき肉は180円の合挽きを800グラムだ。昼夜合わせて1450円だ。10人分。贅沢というより質素すぎると言うべきじゃないかね」
 面川が大声でまくし立てた。
「まだその報告を受けていませんね。事後報告は絶対困ります。金銭の出し入れは責任の私ですから」
 大貫は手帳に面川の言った数字をメモしている。
「高間さんが滅茶苦茶だということだがね」
「自由に自由にと言いすぎるんです。だからつけあがるんです」
 出向できているとはいえ、大貫は経理マンとして毅然としていた。
「自由につくらせて、こんな旨いものがほかで食えないと言われたくないかね」
「経営が成り立てば結構です」
「その分、私がカバーする」
「そんな道楽してる時じゃないんじゃないですか?だから、本気かと聞いたんです。本気で奥さんと、もう1度暮らしたいと思ってるんですか?」
 面川がこのホテルに来た事情を知っている大貫はメモする手を止め、静かにそう聞くのだった。
「本気に決まってる。説教めいたこと言うな!」
 顔を強張らせている面川はドアを開けて部屋を出ようとするが立ち止まった。
「祐子のことは2度と言うなよ」

 暖炉の前では冬子を中心にユー・アー・マイ・サンシャインを楽しそうに歌っている。
 そんな若者たちを2階から見下ろしている面川。
 亥太郎はボイラー室でミツの手伝いをしていた。
 面川はうつむきながら妻の祐子のことを思い浮かべている。
 
 その夜、面川は寝ていても祐子のことでうなされ起きてしまう。
「終わりね。私たち」
「どこへ隠した?」
 酔いどれている面川は祐子に聞いている。
「酒をどこに隠した?」
「捨てたわ」
 サイドボードや食器棚に酒があるのではとよたつきながらも探している面川。
「そんなにホテルがいいなら、どこのホテルでも勤めればいいじゃないの」
「いまさら3流のホテルで働けるか!」
「どうして働けないの?何見栄張ってるのよ。あなたのやってることのほうのが、よっぽど見苦しいじゃないのよ」
 面川はぐてんぐてんに酔っていながらも酒を探し、ほかのものを床に落としたりしている。
「あなたのしてることは最低よ」
 面川はキッチンから部屋に移った。
「どこに勤めてもすぐ変わって、お酒でごまかして」
「どこに隠した?まだ5,6本あるだろう」
 面川は祐子の襟元をつかんだ。
「気が小さいのね。どうしてそう1流ホテルにこだわるの」
「どこへやったか?どこへやったか言ってみろ!」
「1流ホテルが、もうあなたをつかわないって言うなら、3流ホテルでにも勤めて、ちゃんと1流にすればいいじゃないの」
「そんなことが、簡単にできると思ってるのか!」
「簡単とは言わないわ。男じゃないの。そのぐらいの気概があったっていいはずよ」
「女はそうやって言うだけか!ぺらぺら亭主を馬鹿にするだけか!」
 首をふる祐子。
「あなたがその気にさえなれば、いくらでも手伝うわよ」
「綺麗なことを言うな!」
 面川はテーブルの花瓶をつかんで叩きつけようとしている。
「それはやめて」
「なぜだ?」
「それはお父様が私たちのために、スペインから買ってきてくださったものでしょ」
「お前の親父は偉いからな。俺なんぞとは比較にならないからな」
 面川は思いっきり花瓶を床に叩きつけてしまった。
 泣き出してしまう祐子。
「私たち。何度も言うけど、本当に、終わりね」
 
 誰もいなくなったロビーの椅子に座っている面川。
    何度も言ったわ。もう、終わりよ」
 アパートを出て行く祐子の姿。

「仕事場に来るなんて、困るじゃない」
「どこに住んでるんだい?」
「私たちが駄目だってことぐらい。あなただって、分かってるはずよ」
「酒はやめた。本当だよ」
 勤務先のブティックへ、そして外に出てからも面川は祐子に付きまとって言う。
「本当に、酒はやめたんだよ」
 だが、耳を傾けようとしない祐子。
「君を忘れない。忘れない」
 祐子は立ち止まる面川を振り切ってしまう。その後姿を見守る面川。

 祐子の父の会社。
「いいだろう。野島常務に行って貰おう。詰めになったら私が行こう」
「承知しました」
「待たせたね」
「いいえ」
「わざわざ来てもらって、済まなかったね」
「いいえ」
「探すのに骨が折れた」
「アパートを替えましたから」
「何をしてる?」
「自動車のセールスです」
「売れるかい?」
「人並みです。お騒がせしました」
「別居をしたというから、話を聞きたかったんだ。4ヶ月になるそうだね」
「はい」
「この前、飯を食った。祐子は別れたいと言ってる。別れたいなら、別れればいいと言った。本気で別れたいなら、止めてもしようがない」
 祐子の父である大場仙造の前で小さくなっている面川。
「だが、祐子は君を諦めてはいない。否、父親の勝手な印象だ。勝手な印象だが、それほど間違ってるとは思ってないだろうと思っている。君が今の生活から立ち直れるなら、祐子は元の生活に戻りたいと思っている。私も、結婚には反対したが、今となれば多少の情も移る。私に手助けをさせてくれないか?」
 うつむいている面川の目が大場仙造の顔を見た。
「君が私の手助けを嫌っているのは、私もよく知っている。だから、甘い話を持ち出そうというんじゃない。むしろ、厳しい仕事というべきだろう。ただ、君の得意な分野を提供するということだけだ。うちで、抵当に取った八ヶ岳のホテルがある。交通が不便な上、スキーもスケートもできない。5キロ離れて新しい設備のいい大ホテルができて、夏の客も難しい。経営コンサルタントも、手をつけないほうがいいと言っている。6年前に開業して、2ヶ月で閉鎖した。その後は持ち主が転々として、誰も手をつけた者がいない。そのホテルを、君に任せようというのだ。予算は300万。無論、足りないことは承知だ。これ以上は出せない。条件は酒を飲まぬこと」
 小さく頷く面川。
「私は、今の君を信用していいかどうか分からない。君の実力も知らない。ホテルを成功させたら、君を信用するし、実力も信じよう。祐子も同じだろう。どうだい?やってみないかね。繁盛してるホテルの支配人として、高原のホテルに祐子を迎える気はないかね?どうだね?」
 叱られている子供のような面川が顔を上げた。
「やります」

 そんなことを思い出しながら、夜中に、外を見つめている面川だった。

「面川さん。面川さん。起きて下さい。面川さん」
「あ、済まん」
「コック長が戻ってきたんです」
「何時だい?」
「6時半です」
「あー」
 ほとんど寝てない面川は眠そうである。
「夜通し飲んで、タクシーで帰ってきたんです。その金は一緒にいた男が払ったと言っています」
「誰だい?」
「面川さん。あのコック長は本当に信用できるんでしょうね」
「勿論」
「本当に料理が旨いんでしょうね」
「ちゃんと、彼がいるレストランで食べたことがある」
「彼がつくったものをですか?」
「そう言ってた」
「食っただけで、つくってるところを見なかったんですか?」
「しかし、長い間シンガポールの1流ホテルでコック長をしていた」
「確認した訳じゃないでしょう?」
「なぜそんなことを言うんだい?」
「40万食器を買っちまいましたよ」
「40万?」
「手付けで4万。40万の買い物したって、品物積んで戻ってきたんです」
「40万?」
 厨房の隅で、高間と佐々木が酔って踊っている。

 面川と大貫は衝突ばかりしていて、このさきどうなるのだろうか・・・。
 それより、300万の予算しかないというのに、40万もの食器を買ってしまう高間とは・・・

テーマ:高原兵いらっしゃい - ジャンル:日記

  1. 2008/05/21(水) 19:32:19|
  2. 「高原へいらっしゃい」のストーリー
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高原へいらっしゃい 第1話

第1話 星も見えない東京へ帰りたまえ!
 
 
タクシーに乗せた客を見送るホテルのドアボーイ。
 そして、寒い夜空を物憂げに見上げる高村康雄の顔にはやるせない表情が。
 デパートの食堂で客に文句を言われながらも忙しそうに接客する北上冬子。
 チンピラに殴られているところを助けられた小笠原史朗。
 それに無愛想な鳥居ミツを加えた4人が野辺山の駅に降り立ったのは3月のことだった。

4人はお互いの素性を知らずに終点でバスを降りるが、ホテルらしきものは見当たらない。
「ハイランドホテル?」
「えー。ここから歩いて15分て言うんだけど」
「そんなホテルはねーな」
「ないって、地図まで書いてもらってきたんだから、ないってはずは・・・」
「スカイラインのほうなら観光ホテルがあるけどよ」
「それ以外に本当にホテルはないんですか?」
「しらねーな、そんなホテル」
 そんなバスの運転手とのやり取りで不安を覚えた史朗。
康雄はさきをいく女にハイランドホテルへ行くのかと聞き、そうだと言われると自分はそのホテルで働くからと荷物を持ち、早くもホテルマンらしい態度になるのだった。だが、あわてて追ってくる史朗に、ホテルなんてないってよと言われてしまう。
 康雄はもう1人の女鳥居ミツを追いかけ、史朗から聞いたことを話す。
「あんたも面川って人からお金もらった?3万円?むこうにも2人いるんだけど同じなんだ。高原のホテルで働いてみないかって言われた?12万も使って俺たちを騙すっていうのもおかしな話だよね」
 まだ雪が残る山道を康雄が駆け登っていくと、丘にはホテルらしきものが・・・。
「5,6年は営業してないって感じだな」
「まるで化け物屋敷だな」
 そんな雲の巣だらけで廃墟に近い建物の中に入ると、高村と同じように面川に誘われた老人と若者がいた。
 だが、かんじんな面川の姿が見えない。
 老人は康雄たちにコーヒーを勧めた。

「はじめから本当のことをお話すればよかったのかもしれませんがが、この有様では・・・。とりわけ若いお嬢様方はきてくれなかったでしょう」
 思わせぶりに、ようやく2階から降りてくる面川の言葉だった。
 そして、
「ここは6年前に2ヶ月だけ営業したが、とても先行きが見えないということで閉じてしまった。お金持ちの道楽のためのホテルでしたが、借金の抵当で持ち主が転々とし、誰も営業を再開するものはいなかった。スケートもスキーもできない。ハイキングや登山コースからも外れている。でも唯一いいところは八ヶ岳の風景をしょっている。だが、それも2年前ほぼ東の5キロ先に観光ホテルができて、その魅惑も軽減されてしまった。そこはスカイラインからも近く、駅からタクシーを使っても600円でくる。ここはそもそもタクシーはこない。ジープでないとね」
「嬉しそうね」
 サングラスをかけている鳥居ミツが皮肉をこめて言う。
「なんだって?」
 少しむくれ気味の面川はすぐに笑みを浮かべながら
「そう。そう思われるかもしれない。ある製鉄会社の社長が13年のホテルマンとしてのキャリアのある私にやってみないかと言ってきた。これだけの悪条件がそろってるホテルを再建してみないかとね。私はやりますと答えた。男なら誰だってそう思うんじゃないのかね」
「男になりたくて、私たちを騙したってわけ?」
 ミツは楽しそうにしゃべる面川に吐き出すように言った。
「騙したわけじゃない」
「なにもかもそろって繁盛してるって言ったのは誰よ?」
「私はこの土地を皆に見てもらいたかった。1人1人。これはと思って選んだ人たちだ。仕事をしてもらいたいと思った有能な人たちだ。この建物を見てもらいたかった。それまでは手段を選ばなかった。しかし、今はなにもかも曝け出す。この建物も、この場所も見て。これから私が話す条件を聞いて、なおこの土地で働く気がないというなら、遠慮なくお帰りいただいていい。勿論、差し上げた3万円はそのまま差し上げる。皆さんは自由だ」
 2階から皆の前に出てきたときの颯爽とした姿は微塵もない面川だった。
「条件ていうのは給料のことですか?」
 時には語気を強めて話す面川に、康雄が聞いた。
「給料は一律20万払うと言いたいところだが、予算は300万しかない」
「300万・・・」
 といかぶる老人の高間。
「300万。なにもかもひっくるめて300万。これでできるかと聞かれた。ガラスや戸を入れ替える。壁にペンキを塗るだけで100万はかかる。私は試されてると思いました。この社長は私の能力を試そうとしている。ここで成功させれば、都心の大きなホテルを任せようかという途方もない目論見があるのかもしれない。やりましょうと答えました。引けない気持ちでした。そして、この仕事が成功して飛躍することができた時は、協力してくれた人達と一緒に全員で飛躍しよう。全員一緒に幸せになろうと」
 自信満々で言うのだった。
「いくらで働けって言うの?」
「働けじゃない。働かないかと言ってるんだ。300万しか持たない男が経営者のような顔はできない。はじめは小遣い程度のものしかお支払いすることはできない。しかし、ホテルが潤い始めたら、その利益を全員で分けるんだ。この廃屋のような建物を素晴らしいホテルにしよう!訪れた人が、いつまでも、甘い思い出にできるような高原のホテルにするんだ」
「小遣い程度っていうのは、いくらのことかしら?」
「3万円だ」
 あっさり言う面川にミツが畳み掛ける。
「綺麗なことをならべて私たちをまるめこんで、3万円で働かせようっていうの」
「サングラスをとりたまえ!サングラスをとりたまえ!」
 怒りながらの命令口調だった。
「私の目を見たまえ!私の目を見たまえ!」
 皮肉っぽいミツはおどおどしながら面川の顔を見る。
「私は言ったはずだ。君たちは自由だと言ったはずだ。嫌なら帰りたまえ!排気ガスと、満員電車と、コンクリートの東京に帰りたまえ!星も見えない東京へ帰りたまえ!そこに生き甲斐があるというなら、帰りたまえ!ここにははっきりとした目標がある。すばらしいホテルを成功させようという目標がある。皆で力を合わせる。成功した暁には君たちに利益配分を約束している。素晴らしい土地で、緑のなかで、八ヶ岳を朝な夕なに見て、素晴らしい高原のホテルを築きあげるんだ。それがつまらないと言う人を、私は無理に引き止めない。帰りたまえ!蒲田の工場のほうがいいと言うなら帰りたまえ!」
 ミツに、時には強く、時にはやさしく言うのだった。
「勿論帰ってもらいたくはないんだよ。1人1人かけがえのない人達なんだ。そう思って私が選んだ人達だ。ここで思う存分力を振るってほしい人達ばかりだ。しかし、私は強引に引き止めたくはない。君達の気持ちを大事にしたい」
 そういって、1人1人を見つめる面川清次だった。
 
 コックの高間麟二郎とその弟子の服部亥太郎。
 少し神経質なところがありそうな高間康雄。
 美人だがどことなく翳のありそうな北上冬子
 ひょうきん者の小笠原史朗。
 そして、ぶっきらぼうな鳥居ミツ。

 そんな6人はそれぞれの事情を抱えている。

「申し上げることは申し上げた。皆さんは自由です」 
 黙りこんでしまう面川だった。
「俺、どうせここじゃお金遣わないから」 
「やってみようじゃない!」
「私もやります」
「全員残るんだね。帰る人はいないんだね」
 ようやく笑顔になる面川だった。

 地元から杉山七郎と有馬フク江が駆けつけた。
 面川が皆を必要以上に持ち上げながら紹介してると、ミツは自ら名乗った。
「私は鳥居ミツ。ここに残ったのはあんたの話でじゃないわ。東京に帰るのが面倒になったからよ。東京に戻りたくないからよ」

 それぞれが与えられた部屋に行く。
「やーよくしゃべる男だな。お前と反対だな」と言いながらも荷物を放り投げる亥太郎に、高間はもう1度やり直せと小言を言う。
 ミツは冬子に2段ベッドのどっちを使うかと聞かれ、どっちでもいいわと突き放したように言っている。

「あんた。気がいいほうか?」
「なんだそれ?」
「人はいいほうかよ?」
「池袋でバーテンやってたんだぜ。人がいいばっかりで勤まらないさ」
「俺は気がいいんだ。抜けちまうんだ。またぞろ馬鹿な目に遭いたくないんだ」
「どういうことだ?」
 それまで煙草を吸いながら気のない返事をしている史朗が心配げな康雄に聞き返した。
「あいつ。本当に信用できるか?」
「え?」
「騙されるんじゃないだろうな?俺たち」
「どうして?」
「騙されてここまできたんだ。繁盛してる素晴らしいホテルだっていってな」
「あぁ」
「このさき騙さないってことないだろう」
「そりゃそうだけどさ」
「口がうまいから乗せられちまったけど、あいつ。本当に社長に見込まれたやり手なんだろうな」
「おかしいとこあるか?」
「ない」
「そんなら・・・」
「だけど、なんだか芝居してるような感じがしないか?」
「あぁ」
「本当のやり手はやり手には見えないもんだ」
「そう言われると・・・」
「調子のいい奴には何度もつまらない目に遭わされてるからな。そうそう信用するわけにいかないんだ」
「俺だってそうそう信用してるわけじゃないけどよ。うん。そうだな」

 真っ赤なカーデンガンを羽織り「おっ、皆着替えたな。とりあえず調理場から掃除しよう。高間さんに今夜の食事をつくってもらわないとならないからね」と、2階の階段を下りながら言う面川は颯爽としている。
 そんなところに、大貫という男が現れた。

 夕食も終え、掃除の終わったロビーで史朗のギターに合わせ冬子が歌っている。
「可愛いね」
 高間が和やかに言う。
「開店してからもロビーで誰かがギターを弾いて誰かが歌うっていうのはいいですね」
 面川も満足そうに言った。
「誰かじゃなくて、冬子ちゃんがいいな」
「七郎や。けーるだ。8時まわっただ」
「8時まわったっていいじゃねーか」
「1人でけーれって言うだか」
「そりゃ送って行くけど、なんだか雰囲気からけーりずれーな」
「こんな夜はこれからいくらでもあるさ」
 地元で雇った有馬フク江と杉山七郎に言う面川。
「んじゃ、名残惜しいけどまた明日」
「あ。明日から作業着できてくれるね」
 ホテルなのでどうしようかと迷って着てきたスーツを、明日は普段着で来ると言う七郎だった。
 その傍らでは大貫がまだ食事をしている。
「おばやん。きーつけねーと転ぶだろ」
「高原だね。外の声で、空気の澄んでるのが分かる」
 高間は静かな外の気配をうかがうように言った。
「大貫さん。どうですか、高原は?」
「久しぶりですね」
「いや。大貫さんに来ていただけるとは思わなかった。大貫さんはこのホテルのオーナーの会社の人で経理課で係長をしてるんだが・・・」
「いーえ。3月1日で課長になりました」
「社長が目にかけてる人でね。自宅にもよく見えてましたね」
「いえ。使い走りです」
 缶詰を食べながら義務的な口調の大貫。
「実は予算の300万なんだが、今日、大貫さんが持ってきてくれた」」
 食事を中断して面川を見つめる大貫。
「下の銀行へまだかまだかと催促してたんで、やきもきしてたところなんだ。大貫さんが届けてくれるとは思わなかった」
 皆に説明するように言う面川。
「私はまだ300万円をお見せしていませんよ」
「そりゃそうだが」
「ちょっとお話があります」
 大貫は、なんなんだこの人間は、という顔で面川に言った。
「君は持ってきたんだろ?確かに・・・」
「2階に行きましょ」
「君は持ってきてないのか!」
 2階に上がる大貫。
「2階でお答えします」
「どうしてここで答えられないんだ!」
 怒鳴りつけるよう言う面川は大貫を追いかけて2階に上る。
 それを黙って見守る皆。

「こういうことがあるんじゃないかと思ってたよ」
「どうなるんだ?金がなかったら・・・」
 3万円もらってるんだから早いうちここを出ればと耳打ちする康雄に、使ってしまったと言う史朗。
 2階では大貫が旅行鞄の中からブリーフケースを取り出している。そして、ベストの内ポケットから鍵を出して開けた。
「なんだ。あるじゃないか」
「現金ですよ。面川さん」
「社長らしいやり方だよ。300万しかないということを頭に叩き込んでおけということだろう」
 安心したものの沈んだ顔で面川が言う。
「金庫のない山の中で皆に300万円の現金があるというのを、皆の前で口に出すのはは軽率です」
「あのなかに泥棒でもいると言うのかね?」
「いないと言えますか?」
「ま、いいだろう」
「予算が300万しかないということも従業員に伝える必要はないことですね」
「ろくな給料も払えないんだ」
「とにかく金銭の管理は私がいたします」
「なんだって?」
「辞令を受けています。軌道に乗るまでは私がここにいます。宜しくお願いします」
「俺を信用できないって言うのか!」
 それまでのミステリアスなフラメンコギターのBGMをかき消すような大声だった。
 下のロビーにいる皆が2階を見上げる。
「信用されないことを、あなたはなさってるでしょ」
「いいだろう」
 鬼のように大貫に詰め寄っていた面川はさっと態度を和らげて言った。
「経理を1人雇ったと思えばいいんだ。しっかり頼む」
 そうは言うものの、面川の内心は煮えくり返っている。そして、部屋を出て階段の手摺でうなだれてしまう。
 皆はそんな面川の顔を見上げて呆然とするのだった。
「あ。心配しないでくれ!現金じゃなくて小切手なんだ」
 階段を下りてくる面川。
「経理を見るものがいないんで、彼に頼んだんだ。いや、ベテランなんでね」
「改めてお願いします」
 大貫が皆に向かって言う。
「しかし、会社に勤めてる人をそんな簡単に引きとめられるんですか?」
「うん。明日社長に電話すれば90パーセントいいって言ってくれると思うんだ」
「フロントをやらせていただきます」
「なに?」
「フロントについていささか勉強してきました」
「いいんだ。君は裏で帳面を見てくれれば」
「キャッシャーも勤めてフロントをやるのが無駄のないやり方じゃありませんか」
「フロントは誰よりもお客様と接する機会が多いところなんだ。フロントはね、ホテルのイメージをかなり決めてしまうところなんだ」
 皆に相槌を求めるような感じで言う面川。
「承知しています」
 大貫は面川や皆が唖然としているなか平然としている。
「いや、承知していますって、君。このホテルはね、君。高原の甘ーい雰囲気を大事にしていきたいんだよ。ま、率直に言って、君がフロントにいたんじゃ甘ーい雰囲気っていうわけにはいかないんじゃないかな」
「甘い雰囲気になるように心がけます」
「若い女性がね、洒落た高原のホテルに来たんだと思えるような洗練された雰囲気にね」
 フロントなど似合うわけないだろうと言わんばかりに面川は大貫を説得しようとするものの、大貫に動じる気配はない。

「出すように心がけましょう。宜しくお願いします」
 面川があきれ返るだけで何も言えないまま、大貫は2階に上がろうとしている。
「ちょっと待って下さい。社長に信用されてなにもかも任されてるっていうのは本当ですか?」
「本当だとも」
「本当ですか?」
「本当だとも。私を信用してくれたまえ」
「なんか裏がありそうですね」
「私を信用してもらうほかない」
「ろくな給料ももらわずに働こうっていうんですよ。裏があったんじゃ働けませんよ。人のいい奴をいいようにつかおうっていうつもりなんでしょうが、俺たちは、そんなに甘くはないですよ」
 そう言う康雄にミツが皮肉っぽく口を挟んだ。
「信用されてないことは確かね」
 と。
 面川は何も言えない。
「その人はお目付け役できたんでしょ。それ以上の事情はわかんないけど。社長があんたを見込んだっていう、綺麗な話じゃないようね」
「どうなんです?」
 畳み掛けるように言う康雄。
「しかしだね。しかし、素晴らしい高原のホテルをつくろうという気持ちに嘘はない」
「俺たちに利益分配するっていう話はどうなんですか?」
「本当だ」
「あなたにその権限があるんですか?そんな力があるんですか?」
 ツバを飛ばす勢いで言う康雄。
「働いてもらっただけのことはする。どんなことをしてでもする」
「努力をしても駄目だったと言われれば、俺たちは手も足も出ないんですよ」
「信用してもらうほかはない」
 一瞬言葉を失いながらの面川。
 それを見詰める大貫
「信用できるか?」
 皆の気持ちを確かめるような康雄の顔。
「嘘八百ならべて俺たちを連れてきて、今度は嘘はないと言ったそばからまたぼろを出した。これじゃ、信用しろって言うほうのが無理なんじゃないかな」
 愕然としている面川。
「私は信用する。証拠も理屈もない。私は自分の勘を信じる。長い人生で、養ってきた勘だ。私はこの人を信用する。確かに欠点のない人ではない。事情も、色々あっただろう。そんなこと言ったら、私にも、この高原へ来てしまおうという事情だがね。あなた方のなかにも、人には話したくない事情というものがあるだろう。 だからね、私はこの人の事情を聞こうとは思わない。ただね、いいホテルにしようという気持ちだけを信用する。そのほかのことは、かりに騙されたっていい。高原の、この見捨てられたホテルを素晴らしいホテルにしようということは、近頃めずらしくやり甲斐のある仕事だと思う。この人は嘘も言ったよ。しかしね、自分でやろうと思うことに対しては一生懸命であることは事実だ。私はそれだけを信用する。私は、ここで働く」
 静まり返って聞いている皆の中で、冬子が面川のそばによった。
「私も働きます」
 真剣な顔で言うのだった。
 冬子の顔を見つめる面川。
「どうする?」
「東京に帰ってもどうってことないからよ」
 と言う史朗。
「そうか」
 と、今まで面川に詰め寄っていた康雄が力なくうなずくように言った。
「俺は、そう簡単には信用できない。しかし、しばらく様子を見させてもらいますよ。3万円もらった分だけ」
「いいとも」
 ようやく笑顔を取り戻した面川は鳥居ミツに聞く。
「あんたも、3万円分だけいてくれるね」
 黙ってうなずくミツ。
「有難う」
 小さく言う面川。
「高間さん、有難うございます」
 面川は頭を下げた。
「いやー」
 と何事もなかったような高間。
「君たちを裏切るようなことはしない。それだけは信じてくれ」
「10人か。10人で出発だ。スタート。よーい、スタートだ」
 そう言いながら冬子と目を合わせながら笑う高間。
 しかし、皆は・・・

テーマ:高原兵いらっしゃい - ジャンル:日記

  1. 2008/05/09(金) 13:32:41|
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