第1話 星も見えない東京へ帰りたまえ!
タクシーに乗せた客を見送るホテルのドアボーイ。
そして、寒い夜空を物憂げに見上げる高村康雄の顔にはやるせない表情が。
デパートの食堂で客に文句を言われながらも忙しそうに接客する北上冬子。
チンピラに殴られているところを助けられた小笠原史朗。
それに無愛想な鳥居ミツを加えた4人が野辺山の駅に降り立ったのは3月のことだった。
4人はお互いの素性を知らずに終点でバスを降りるが、ホテルらしきものは見当たらない。
「ハイランドホテル?」
「えー。ここから歩いて15分て言うんだけど」
「そんなホテルはねーな」
「ないって、地図まで書いてもらってきたんだから、ないってはずは・・・」
「スカイラインのほうなら観光ホテルがあるけどよ」
「それ以外に本当にホテルはないんですか?」
「しらねーな、そんなホテル」
そんなバスの運転手とのやり取りで不安を覚えた史朗。
康雄はさきをいく女にハイランドホテルへ行くのかと聞き、そうだと言われると自分はそのホテルで働くからと荷物を持ち、早くもホテルマンらしい態度になるのだった。だが、あわてて追ってくる史朗に、ホテルなんてないってよと言われてしまう。
康雄はもう1人の女鳥居ミツを追いかけ、史朗から聞いたことを話す。
「あんたも面川って人からお金もらった?3万円?むこうにも2人いるんだけど同じなんだ。高原のホテルで働いてみないかって言われた?12万も使って俺たちを騙すっていうのもおかしな話だよね」
まだ雪が残る山道を康雄が駆け登っていくと、丘にはホテルらしきものが・・・。
「5,6年は営業してないって感じだな」
「まるで化け物屋敷だな」
そんな雲の巣だらけで廃墟に近い建物の中に入ると、高村と同じように面川に誘われた老人と若者がいた。
だが、かんじんな面川の姿が見えない。
老人は康雄たちにコーヒーを勧めた。
「はじめから本当のことをお話すればよかったのかもしれませんがが、この有様では・・・。とりわけ若いお嬢様方はきてくれなかったでしょう」
思わせぶりに、ようやく2階から降りてくる面川の言葉だった。
そして、
「ここは6年前に2ヶ月だけ営業したが、とても先行きが見えないということで閉じてしまった。お金持ちの道楽のためのホテルでしたが、借金の抵当で持ち主が転々とし、誰も営業を再開するものはいなかった。スケートもスキーもできない。ハイキングや登山コースからも外れている。でも唯一いいところは八ヶ岳の風景をしょっている。だが、それも2年前ほぼ東の5キロ先に観光ホテルができて、その魅惑も軽減されてしまった。そこはスカイラインからも近く、駅からタクシーを使っても600円でくる。ここはそもそもタクシーはこない。ジープでないとね」
「嬉しそうね」
サングラスをかけている鳥居ミツが皮肉をこめて言う。
「なんだって?」
少しむくれ気味の面川はすぐに笑みを浮かべながら
「そう。そう思われるかもしれない。ある製鉄会社の社長が13年のホテルマンとしてのキャリアのある私にやってみないかと言ってきた。これだけの悪条件がそろってるホテルを再建してみないかとね。私はやりますと答えた。男なら誰だってそう思うんじゃないのかね」
「男になりたくて、私たちを騙したってわけ?」
ミツは楽しそうにしゃべる面川に吐き出すように言った。
「騙したわけじゃない」
「なにもかもそろって繁盛してるって言ったのは誰よ?」
「私はこの土地を皆に見てもらいたかった。1人1人。これはと思って選んだ人たちだ。仕事をしてもらいたいと思った有能な人たちだ。この建物を見てもらいたかった。それまでは手段を選ばなかった。しかし、今はなにもかも曝け出す。この建物も、この場所も見て。これから私が話す条件を聞いて、なおこの土地で働く気がないというなら、遠慮なくお帰りいただいていい。勿論、差し上げた3万円はそのまま差し上げる。皆さんは自由だ」
2階から皆の前に出てきたときの颯爽とした姿は微塵もない面川だった。
「条件ていうのは給料のことですか?」
時には語気を強めて話す面川に、康雄が聞いた。
「給料は一律20万払うと言いたいところだが、予算は300万しかない」
「300万・・・」
といかぶる老人の高間。
「300万。なにもかもひっくるめて300万。これでできるかと聞かれた。ガラスや戸を入れ替える。壁にペンキを塗るだけで100万はかかる。私は試されてると思いました。この社長は私の能力を試そうとしている。ここで成功させれば、都心の大きなホテルを任せようかという途方もない目論見があるのかもしれない。やりましょうと答えました。引けない気持ちでした。そして、この仕事が成功して飛躍することができた時は、協力してくれた人達と一緒に全員で飛躍しよう。全員一緒に幸せになろうと」
自信満々で言うのだった。
「いくらで働けって言うの?」
「働けじゃない。働かないかと言ってるんだ。300万しか持たない男が経営者のような顔はできない。はじめは小遣い程度のものしかお支払いすることはできない。しかし、ホテルが潤い始めたら、その利益を全員で分けるんだ。この廃屋のような建物を素晴らしいホテルにしよう!訪れた人が、いつまでも、甘い思い出にできるような高原のホテルにするんだ」
「小遣い程度っていうのは、いくらのことかしら?」
「3万円だ」
あっさり言う面川にミツが畳み掛ける。
「綺麗なことをならべて私たちをまるめこんで、3万円で働かせようっていうの」
「サングラスをとりたまえ!サングラスをとりたまえ!」
怒りながらの命令口調だった。
「私の目を見たまえ!私の目を見たまえ!」
皮肉っぽいミツはおどおどしながら面川の顔を見る。
「私は言ったはずだ。君たちは自由だと言ったはずだ。嫌なら帰りたまえ!排気ガスと、満員電車と、コンクリートの東京に帰りたまえ!星も見えない東京へ帰りたまえ!そこに生き甲斐があるというなら、帰りたまえ!ここにははっきりとした目標がある。すばらしいホテルを成功させようという目標がある。皆で力を合わせる。成功した暁には君たちに利益配分を約束している。素晴らしい土地で、緑のなかで、八ヶ岳を朝な夕なに見て、素晴らしい高原のホテルを築きあげるんだ。それがつまらないと言う人を、私は無理に引き止めない。帰りたまえ!蒲田の工場のほうがいいと言うなら帰りたまえ!」
ミツに、時には強く、時にはやさしく言うのだった。
「勿論帰ってもらいたくはないんだよ。1人1人かけがえのない人達なんだ。そう思って私が選んだ人達だ。ここで思う存分力を振るってほしい人達ばかりだ。しかし、私は強引に引き止めたくはない。君達の気持ちを大事にしたい」
そういって、1人1人を見つめる面川清次だった。
コックの高間麟二郎とその弟子の服部亥太郎。
少し神経質なところがありそうな高間康雄。
美人だがどことなく翳のありそうな北上冬子
ひょうきん者の小笠原史朗。
そして、ぶっきらぼうな鳥居ミツ。
そんな6人はそれぞれの事情を抱えている。
「申し上げることは申し上げた。皆さんは自由です」
黙りこんでしまう面川だった。
「俺、どうせここじゃお金遣わないから」
「やってみようじゃない!」
「私もやります」
「全員残るんだね。帰る人はいないんだね」
ようやく笑顔になる面川だった。
地元から杉山七郎と有馬フク江が駆けつけた。
面川が皆を必要以上に持ち上げながら紹介してると、ミツは自ら名乗った。
「私は鳥居ミツ。ここに残ったのはあんたの話でじゃないわ。東京に帰るのが面倒になったからよ。東京に戻りたくないからよ」
それぞれが与えられた部屋に行く。
「やーよくしゃべる男だな。お前と反対だな」と言いながらも荷物を放り投げる亥太郎に、高間はもう1度やり直せと小言を言う。
ミツは冬子に2段ベッドのどっちを使うかと聞かれ、どっちでもいいわと突き放したように言っている。
「あんた。気がいいほうか?」
「なんだそれ?」
「人はいいほうかよ?」
「池袋でバーテンやってたんだぜ。人がいいばっかりで勤まらないさ」
「俺は気がいいんだ。抜けちまうんだ。またぞろ馬鹿な目に遭いたくないんだ」
「どういうことだ?」
それまで煙草を吸いながら気のない返事をしている史朗が心配げな康雄に聞き返した。
「あいつ。本当に信用できるか?」
「え?」
「騙されるんじゃないだろうな?俺たち」
「どうして?」
「騙されてここまできたんだ。繁盛してる素晴らしいホテルだっていってな」
「あぁ」
「このさき騙さないってことないだろう」
「そりゃそうだけどさ」
「口がうまいから乗せられちまったけど、あいつ。本当に社長に見込まれたやり手なんだろうな」
「おかしいとこあるか?」
「ない」
「そんなら・・・」
「だけど、なんだか芝居してるような感じがしないか?」
「あぁ」
「本当のやり手はやり手には見えないもんだ」
「そう言われると・・・」
「調子のいい奴には何度もつまらない目に遭わされてるからな。そうそう信用するわけにいかないんだ」
「俺だってそうそう信用してるわけじゃないけどよ。うん。そうだな」
真っ赤なカーデンガンを羽織り「おっ、皆着替えたな。とりあえず調理場から掃除しよう。高間さんに今夜の食事をつくってもらわないとならないからね」と、2階の階段を下りながら言う面川は颯爽としている。
そんなところに、大貫という男が現れた。
夕食も終え、掃除の終わったロビーで史朗のギターに合わせ冬子が歌っている。
「可愛いね」
高間が和やかに言う。
「開店してからもロビーで誰かがギターを弾いて誰かが歌うっていうのはいいですね」
面川も満足そうに言った。
「誰かじゃなくて、冬子ちゃんがいいな」
「七郎や。けーるだ。8時まわっただ」
「8時まわったっていいじゃねーか」
「1人でけーれって言うだか」
「そりゃ送って行くけど、なんだか雰囲気からけーりずれーな」
「こんな夜はこれからいくらでもあるさ」
地元で雇った有馬フク江と杉山七郎に言う面川。
「んじゃ、名残惜しいけどまた明日」
「あ。明日から作業着できてくれるね」
ホテルなのでどうしようかと迷って着てきたスーツを、明日は普段着で来ると言う七郎だった。
その傍らでは大貫がまだ食事をしている。
「おばやん。きーつけねーと転ぶだろ」
「高原だね。外の声で、空気の澄んでるのが分かる」
高間は静かな外の気配をうかがうように言った。
「大貫さん。どうですか、高原は?」
「久しぶりですね」
「いや。大貫さんに来ていただけるとは思わなかった。大貫さんはこのホテルのオーナーの会社の人で経理課で係長をしてるんだが・・・」
「いーえ。3月1日で課長になりました」
「社長が目にかけてる人でね。自宅にもよく見えてましたね」
「いえ。使い走りです」
缶詰を食べながら義務的な口調の大貫。
「実は予算の300万なんだが、今日、大貫さんが持ってきてくれた」」
食事を中断して面川を見つめる大貫。
「下の銀行へまだかまだかと催促してたんで、やきもきしてたところなんだ。大貫さんが届けてくれるとは思わなかった」
皆に説明するように言う面川。
「私はまだ300万円をお見せしていませんよ」
「そりゃそうだが」
「ちょっとお話があります」
大貫は、なんなんだこの人間は、という顔で面川に言った。
「君は持ってきたんだろ?確かに・・・」
「2階に行きましょ」
「君は持ってきてないのか!」
2階に上がる大貫。
「2階でお答えします」
「どうしてここで答えられないんだ!」
怒鳴りつけるよう言う面川は大貫を追いかけて2階に上る。
それを黙って見守る皆。
「こういうことがあるんじゃないかと思ってたよ」
「どうなるんだ?金がなかったら・・・」
3万円もらってるんだから早いうちここを出ればと耳打ちする康雄に、使ってしまったと言う史朗。
2階では大貫が旅行鞄の中からブリーフケースを取り出している。そして、ベストの内ポケットから鍵を出して開けた。
「なんだ。あるじゃないか」
「現金ですよ。面川さん」
「社長らしいやり方だよ。300万しかないということを頭に叩き込んでおけということだろう」
安心したものの沈んだ顔で面川が言う。
「金庫のない山の中で皆に300万円の現金があるというのを、皆の前で口に出すのはは軽率です」
「あのなかに泥棒でもいると言うのかね?」
「いないと言えますか?」
「ま、いいだろう」
「予算が300万しかないということも従業員に伝える必要はないことですね」
「ろくな給料も払えないんだ」
「とにかく金銭の管理は私がいたします」
「なんだって?」
「辞令を受けています。軌道に乗るまでは私がここにいます。宜しくお願いします」
「俺を信用できないって言うのか!」
それまでのミステリアスなフラメンコギターのBGMをかき消すような大声だった。
下のロビーにいる皆が2階を見上げる。
「信用されないことを、あなたはなさってるでしょ」
「いいだろう」
鬼のように大貫に詰め寄っていた面川はさっと態度を和らげて言った。
「経理を1人雇ったと思えばいいんだ。しっかり頼む」
そうは言うものの、面川の内心は煮えくり返っている。そして、部屋を出て階段の手摺でうなだれてしまう。
皆はそんな面川の顔を見上げて呆然とするのだった。
「あ。心配しないでくれ!現金じゃなくて小切手なんだ」
階段を下りてくる面川。
「経理を見るものがいないんで、彼に頼んだんだ。いや、ベテランなんでね」
「改めてお願いします」
大貫が皆に向かって言う。
「しかし、会社に勤めてる人をそんな簡単に引きとめられるんですか?」
「うん。明日社長に電話すれば90パーセントいいって言ってくれると思うんだ」
「フロントをやらせていただきます」
「なに?」
「フロントについていささか勉強してきました」
「いいんだ。君は裏で帳面を見てくれれば」
「キャッシャーも勤めてフロントをやるのが無駄のないやり方じゃありませんか」
「フロントは誰よりもお客様と接する機会が多いところなんだ。フロントはね、ホテルのイメージをかなり決めてしまうところなんだ」
皆に相槌を求めるような感じで言う面川。
「承知しています」
大貫は面川や皆が唖然としているなか平然としている。
「いや、承知していますって、君。このホテルはね、君。高原の甘ーい雰囲気を大事にしていきたいんだよ。ま、率直に言って、君がフロントにいたんじゃ甘ーい雰囲気っていうわけにはいかないんじゃないかな」
「甘い雰囲気になるように心がけます」
「若い女性がね、洒落た高原のホテルに来たんだと思えるような洗練された雰囲気にね」
フロントなど似合うわけないだろうと言わんばかりに面川は大貫を説得しようとするものの、大貫に動じる気配はない。
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Author:mounthiker
田宮二郎さん大好き
